【非常識】突然、母が死んだ。何も考えられなくなっていた。、遺体を1ヶ月放置した

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(出典 img.news.goo.ne.jp)


そんなことある?? 救急車呼べばいいじゃん 1ヶ月も放置はヤバい

1 記憶たどり。 ★ :2019/07/07(日) 09:11:31.76

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190705/k10011982311000.html

「誰に助けを求めればいいのか、分かりませんでした。それは自分の弱さだったのかもしれません」
亡くなった母親のそばで1か月以上にわたって生活をしていた男性はこうつぶやいた。高齢の親が死亡したあと、
その死を届け出ないケースが今、各地で相次いでいる。

■親が死んでも言い出せず 相次ぐ事件

親が高齢となって、いずれ亡くなり、子どもが葬儀をあげて親を弔う。当たり前だと考えていたことが、実はそうではないのではないか。

そう思ったのは、自宅で親の遺体を放置したとして、同居する子どもが逮捕される事件が相次いだからだ。
特に目立っているのが、高齢の親と中高年で無職の子どものケース。ことしに入ってから半年間にかぎっても、
NHKの各放送局が放送した事件だけで約20件に上っている。

なぜ、一緒に住んでいながら、親の死を届け出ることも、葬儀をあげることもできなかったのか。

■50代息子と80代母親

東北地方に住む50代の男性は、80代の母親の遺体を自宅に放置したとして、ことし執行猶予のついた有罪判決を受けた。

法廷で男性は、届け出をしなかった理由について、「母親が亡くなったショックと経済的な不安で冷静さを失っていた。
どこに頼ればいいのか分からなかった」と説明した。

親子に一体何があったのか?
それを確かめるため、直接、男性に話を聞いた。

■順風満帆の生活が…


男性はもともと外資系企業のエンジニアとして働いていた。年収は1000万円を超え、関東地方に購入したマンションでひとり暮らしをしていたという。

仕事は充実し、実家で暮らす母親には20年以上、仕送りを続けてきた。

「父親がろくでなしで、子どものころから貧乏で、母親がパートをして一家の生活を支えてくれていたんです。
学校を卒業できたのも母親のおかげなんです。だから、自分が働いて収入が安定してからは、苦労をかけた母親に絶対に
お金で不自由をさせないという思いで生きてきました」

■突然の解雇 人生が一変

男性の人生が暗転したのは、6年前。突然、仕事を解雇された。当初は蓄えも十分にあり、生活に困ることはなかった。

しかし、解雇から1年。新たな仕事を探そうとしたところで、壁にぶち当たった。すでに50歳を超え、自分の経験やスキルを生かすことが
できる仕事はなかなか見つからなかった。

中国など海外での求人はあったものの、1人で暮らす母親を置いていくことはできなかった。

いずれ、仕事は見つかると思っていた。しかし、気がつけば、不採用の会社の数は数十社に上っていた。

見つからない仕事。減り続ける蓄え。焦りと不安が募るなかで、友人とも連絡を断つようになっていった。

いつしか就職も諦め、気力を失っていった。お金を使わないよう、家にひきこもる時間が長くなった。

そして、去年、連絡が取れなくなった息子を心配し、訪ねてきた母親に促される形で、実家に戻ることを決めた。

■年金だけが頼りの生活

だが、実家に戻ってからも状況は好転しなかった。父親は病気で20年前に亡くなっていた。

収入は母親の年金だけが頼り。生活を切り詰めたとしても楽ではなかった。

「年金は8万5000円でした。それが2人の生活費のすべてでした。年金受給日の前には米とミソだけで数日間、2人で飢えをしのいだこともありました」

■母の突然の死 頭に浮かんだ“餓死”

そんな生活が7か月ほど続いたある日、突然、その時はやってきた。

居間で横になっていた母親。寝息も聞こえず、動かなくなっていた。病死だった。

たまに体調を崩すことはあったものの、まだまだ元気だった母親。男性は現実を受け入れられず、ぼう然自失の状態で日々を過ごすことになる。

手元に残っていた現金は5万円ほどだけだった。

「葬儀をあげないとダメだということは分かっていました。だけど、もし葬儀費用を払ってしまったら、お金がなくなってしまう。
その時、“餓死”という言葉が頭に浮かんだんです。そのころは精神的にも疲れ果てていて、冷静に考えることができなくなっていました」


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